コトノオト

「言葉」だったり「出来事」だったり,「音」だったり「ノート」だったり

論文へのツッコミ方ざっくりガイド

大学のラーニング・コモンズで学生達が論文を読んで報告する勉強会に混ぜてもらっているんですが,そこで少しお話ししたことのまとめです。

学部3〜4年になってゼミに入って初めて論文を読むなんて人はそこそこいるんじゃないかと思います。論文のないよう報告だけでも精一杯なのに教員や参加者からその論文に対する意見・コメント・反論(ツッコミ)を求められることもあって,けっこう苦戦することは想像に難くありません。

こういうのは一つの練習の機会,つまり失敗できる機会だと思ってくれればいいんですが,やはり自分が言ったことが的外れでないか心配になりますし,そもそも何も浮かばないことだって多いと思います。そもそも「論文へのツッコミ方」なんて明示的に教わることはないし,一般教育の論理学とか取ってもねえ…(論理学が悪いのではない)。

ここでは僕の経験からそういうときのガイドとなりそうなことを言葉にしてみました。車輪の再発明のような気がしてならないのですが,素人考え(layman's view)の一種だと思ってもらえれば。

内のロジックと外のロジック

僕は論文類には大きく「内のロジック」と「外のロジック」の2つがあるんじゃないかと思います。ざっくりと言うと,ロジックが内にいくほど論文内部の問題,外に行くほど論文外部の問題と関わってくるということを意図したものです。これも大雑把なんですが次のようなイメージです。

f:id:yearman:20210909092014p:plain

論文の内と外

最も内側は攻めづらい

内のロジックの中でも最も内側にあるのは「論文内部の論理関係」です。たいていの論文は大なり小なり主張,根拠,証拠があると思います。例えば次の構造を考えてみましょう。

ダジャレは健康に良い(主張)
    長生きする人はダジャレが好きだ(根拠)
       長生きしているAさんやBさんはダジャレが好きだ(証拠・事例)

論文に読み慣れないうちだとわりと「主張と根拠」ぐらいにしか目を向けないことが多いのですが,正直「主張と根拠」の狭い論理関係で破綻を来す論文に出会うことはほぼありません。上の例で言うと,「ダジャレは健康に良い。なぜなら長生きする人はダジャレが好きだ」ぐらいのところでおかしな論理になっていることは少ないです。

少し外側に目を向ける

論文でむしろ問題となるのは,もっと外側のレベルなことが多いと思います。上の例だと「長生きする人はダジャレが好きだ」という根拠を支える証拠や事例となる「長生きしているAさんやBさんがダジャレ好き」という具体例について適当かどうかを指摘することができます。例えば

  • 長生きしなかったCさんもダジャレが好きだった
  • AさんやBさんはジャズが好きだから,ダジャレじゃなくてジャズが問題ではないか?

という指摘は説明不足や一般化の不備の指摘に繋がります。また同様に

  • 長生きしているDさんはダジャレを言わない人だ

という指摘だと「長生きする人はダジャレが好きだ」という一般化に対する反例となるでしょう(実際の論文はこの辺は数を集めて「長生きとダジャレ好きの相関を出す」ぐらいのことはしているのでしょうけど)。

研究分野の種類によっても変わるのでしょうけど,事例中心だと次のような指摘も考えられそうです。

  • 事例が2人だけでは足りないのではないか
  • 2人から長生きとダジャレを結びつけるのは無理ではないか

どちらも事例が少ない,性急な一般化を指摘するものになります。もっともこの辺はいくつの事例から言えるのか,そもそも数を問題にする話なのかということはありそうです。ただ,比べると2つ目の方が具体性があって良い指摘になるんじゃないかと思います。

もっと広げることもできる

もう少し範囲を広げたところからもコメントを出すことはできます。健康の問題は食品とか他の分野とも結びついているのですから,そういったところの成果との結びつきを考えます。例えば音楽に広げてみたとき

  • ジャズを演奏するのは健康に良いらしい

という成果を知っているなら

  • ジャズもダジャレも即興性が求められるから,即興で頭を使うことが健康と関係あるのでは?

というような指摘もできそうです。逆に範囲が広すぎるのではないかという指摘もできることがあるでしょう。いずれにせよ,この辺までは論文に書かれた分野の研究から応用・適用ができそうです。

外側もまた難しい

一番外側にある「他の現象・事例等からの応用」というのは,健康と関係ない分野の研究での考え方を応用するみたいなことを考えています。これはかなり難しいしアクロバティックになってしまいそうです。また,ここを元から目指すのもちょっと違うのかなと思います。もっとも,異分野の人が混ざる勉強会に関しては別で,そういう始点が期待されているのかもしれませんから,それを説明してみるというのは良いのではないでしょうか。

まずは恐れず言葉にしてみてほしい

色々と書いてみたのですが,はじめに書いたとおり,基本的に学生というのは失敗を許された期間だと思ってもらっていいです。その意味で,せっかくの機会なのだから,色々なツッコミをしてみてもらいたいなあと思います。

また,教員におかれましては学生のそういう気持ちを察して環境を作ることに気持ちを向けてもらえるといいと思います。ほら,オンラインならslidoのような匿名チャットだってあるじゃないですか。

note.com

と最後は自分の過去ブログ記事を参照して終わっておきます。