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道民の「とんでん」のアクセント(イントネーションじゃございません)が標準語と違うことについて

注:この記事は2021年9月16日1:00頃いったん公開しましたが,同日13時前にかなり改訂を加えました。

私は見ていないのですが,「林修のニッポンドリル」という番組で外食チェーンの「とんでん」が取りあげられたところ,内容より発音に反応する道民が多かったようです。具体的には,ナレーションなどは「ロンドン」と同じアクセント(とんでん)だったそうですが,道民的には「混乱」と同じアクセント(とんでん)になります。そのため,例えば下の道民アカウントによるアンケートではフラットな発音(とんでん)の方が圧倒的に優勢になっています。

実際の発音の例も見ましょう。下の動画は北海道のローカルバラエティのもので,たしかに「とんでん」はフラットな形になっています。

youtu.be

北海道民にはあまり気づかれないのですが,この種の発音の違いはそこそこあります。この記事ではそういった例について簡単な解説をします。

アクセントとイントネーションという言葉の違い

まず言語学者的に気になる用語の使い方についてです。Twitterを見る限り多くの方が「とんでんのイントネーションが違う」のように発音の差を「イントネーション」と書いていました。放送日までのツイート検索の結果を見るとよく分かります。

twitter.com

しかし,言語学的にはこれは「アクセント」の違いです。アクセントとイントネーションはともに声の高低が関わる現象のことを指しますが,いくつかの点で違います。ここでは大雑把になりますが,アクセントとイントネーションは結びつくものが異なることを取りあげます*1

アクセントは語(より正確には形態素)や意味ごとにパターンが指定されています。例えば同じハシガでも次のように意味によって発音が変わります。

  • しが(箸)
  • はしが(橋)
  • はしが(端)

また,パンツもズボンと同じ意味ならパンツ,違う意味(下着)ならパンツのように意味で区別しています。ここからもアクセントが意味と結びついていることが分かると思います。

パターンそのものが意味と結びついていないので,例えば,涙,カラス,粘土,ゼリーはいずれも○○○というパターンですが,○○○によって4つの語に何か共通の意味を見出すことはできません。もちろん「外来語や名前はあるパターンが多い」とか「慣れた語は平板になりやすい」のようにある種のカテゴリーをまとめることはできますが,それとある種の概念的な意味とは違うものです。

それに対してイントネーションはある種の意図や感情と結びついています。例えば同じ「ありましたか」という文でも意図によって声の高さ(矢印)や音の長さなど発話全体のパターンが変わってきます。

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さまざまなイントネーションのパターン

ここに書いた4つの意図の区別はいわゆる単語の意味とは異なるものです。疑問については意味と言いたくなるかもしれませんが,実際,これらの区別はパラ言語的意味とも呼ぶので,議論の必要なところです。

この他にイントネーションは文の文法的な構造を反映することもありますが,これについては今回は関係していないので割愛します。末尾の文献を読まれてみてください。

なぜ「とんでん ̄」と「と\んでん」か? マイナス3規則

なぜ「とんでん」と「とんでん」という2つのパターンがあるのか気になる人がいるかもしれません。ここにはアクセントを決める規則が関わっています。

「とんでん」は「屯田」の音読みなので漢語になります。2字からできている漢語のアクセントは2字目の漢字のモーラ数によってかなり傾向が決まっています。「モーラ」とはおおよそ仮名1字にあたる発音の単位ですが,「きゃ」のように拗音はこれで1つと数えるので要注意です。

  • 1モーラ=全体の1モーラ目にアクセント
    例:きそ(基礎),ちり(地理),ぶつり(物理),しゅうり(修理)
  • 2モーラ=平板型
    例:きばん(基盤),ちじょう(地上),ぶつよく(物欲),しゅうぜん(修繕)

この規則で考えると,「とんでん」は2字目が2モーラ(でん)なので平板型「とんでん」になるのが自然ということになります。

しかし,同時に「とんでん」は名前です。名前のアクセントにも規則性があります。その主要なものにマイナス3規則があります。

  • マイナス3規則:後ろから3モーラ目にアクセントを付与せよ。ただし,後ろから3モーラ目が特殊モーラ(促音,撥音,長音,二重母音の後部)ならばさらに1つ前のモーラにアクセントを付与せよ。

標準語の名前はマイナス3になるか平板になるかです。マイナス3規則に従う地名や人名を上げておきます。

  • マイナス3規則に従う地名:ながの,ながさき,かんざき
  • マイナス3規則の従う人名:かつら,まつうら,しんどう

通名詞が名前になるときも同じで,普通名詞だと梅は「うめ」桜は「さくら」という平板型のアクセントですが,名前では「うめ」,「さくら」と1モーラ目にアクセントを付けます。

「「とんでん」という名前のお店」は東京周辺の人にとっては新奇なものなので元のアクセントは聞かれずこの規則に従って「とんでん」となったと考えられます。

実は「とんでん」のように名前に関する言葉で北海道と標準語でアクセントが違うものはいくつかあります。それについて少し述べておきます。まず具体例を見ましょう。

  • 厚別(北=あつべつ,標=あつべつ)
  • 月寒(北=つきさむ,標=つきさむ〜つきさむ
  • 大通(北=おおどおり〜おおどおり,標=おおどおり)*2
  • 大谷地(北=おおやち,標=おおやち*3
  • 琴似(北=ことに,標=ことに)
  • 夕張(北=ゆうばり,標=ゆうばり

実は上にあげた北海道で発音が違う地名というのは,どれも「マイナス3規則に反する」ものです。その点で見ると北海道方言の一部の名前のアクセントは「マイナス3規則」に反していて,どういった名前が反するのか,統一的な規則はあるのかなど面白そうな問題を提供してくれます。

おまけ:複合名詞アクセントの地域差と境界規則

この他にアクセントが違う言葉の例として次のものがあります。

  • コーヒー(北=コーヒー,標=コーヒー)
  • 椅子(北=いす,標=いす
  • 幼稚園(北=ようちえん,標=ようちえん)
  • 保育園(北=ほいくえん,標=ほいくえん)

保守的(伝統的)な話者だと「オルガン」がオルガン(標準語はオルガン)になるなどもっと例があげられますが,ひとまず比較的若い年齢層でも上の語は標準語と違うパターンになりがちです。

ここでコーヒーや椅子は個別の語彙なので,要するに昔の人がそういう発音だったものが定着して残ったままになっているという程度のものだと思います。しかし,幼稚園や保育園のアクセントは少し問題です。というのも,これらは「〜園」という複合名詞になっているからです。

日本語の多くの方言では単語同士を組み合わせた複合語は後ろの単語や全体の長さなどによってアクセントが規則的に決まります。そしてそのうち支配的なパターンは語の境界の前後にくるものです。

  • 境界の前(〜駅):おたるえき,きょうとえき,たかだのばばえき
  • 境界の後(〜遊び):よあそび,ゆきあそび,にんぎょうあそび

これらから,「複合名詞は境界の前後にアクセントを付与せよ」というアクセントの規則性が見いだせます(ここでは境界規則と呼びます)。ところが,幼稚園や保育園というのはこの規則に反して,境界よりさらに前にアクセントがあります。実は複合名詞の境界規則というのは近畿などそれなりに多くの方言で支配的なものです。

ところが北海道ではこれに反するパターンが出てくるわけです。やはりこれもその出自や統一的な説明などを考えると面白い問題を提供してくれています。

結び:アクセント・イントネーションを楽しんでほしい

「とんでん」の問題はアクセントでありイントネーションではありません。さらに,「とんでん」の標準語アクセントがなぜ「とんでん」なのかは名前のアクセント一般に関わる問題だということを見てきました。

ここでは紹介していませんが,アクセントの問題は特に歴史とも関わる面白いトピックなので興味を持たれた方は比較的読みやすい次の文献を読まれることをお勧めします。

窪薗 晴夫 (2006)『アクセントの法則』岩波科学ライブラリー/アクセントの規則性について豊富な例とともに説明している。サポートサイトに発音例がある。

松森 晶子・新田 哲夫・木部 暢子・中井 幸比古 編著 (2012)『日本語アクセント入門三省堂/記述がかなり詳しく,方言についても詳しく解説されている。

郡 史郎 (2020)『日本語のイントネーションしくみと音読・朗読への応用』大修館/特にイントネーションに重点を置いた詳しい解説。

高山 倫明・木部 暢子・松森 晶子・早田 輝洋・前田 広幸 (2016)『音韻史 (シリーズ日本語史1)岩波書店/アクセントに限定せず日本語の音韻(音声)の歴史について書かれた入門書。ちょっとレベルは高いのですがそれに見合う価値があります。私の書評に目次も含めた簡単な紹介がありますので参考までに。

*1:この説明は一般向けにかなり単純化した区分です

*2:伝統的には「おおどおり」とのこと。

*3:後述する複合名詞も関わる問題かもしれません。