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長島と能登島:杉藤美代子先生に憧れて

この記事は「言語学な人々 Advent Calendar 2022」の1日目の記事として書かれました。

adventar.org

(2022/12/01 8:57追記)「遅下がり」について加筆しました。

柴田さんと今田さん

私の尊敬する言語学者・音声学者のひとりに杉藤美代子先生(すぎとうみよこ,1919-2012)がおります。今ではPraatに代表されるソフトウェアが充実し,音響音声学的な分析はもはや常識となっていますが,杉藤先生は1960年代には機械を用いた音声分析を行っていました。また,企業と協力し,SUGI SpeechAnalyzerという手軽に音響分析のできるソフトを開発していました。

杉藤先生の業績のうち,特にアクセントの物理的動態の分析に関しては他の追随を許さないと言ってもいいと思います。例えば,日本語のアクセントは高さが弁別的であるというのは常識ですが,本当にそう言えるのかは議論があり,イルジー・ネウストゥプニー「日本語のアクセントは高低アクセントか」(1966)では遅下がりという現象を証拠に強弱も弁別的特徴に入れなければならないと主張されています。遅下がりというのは,アクセントの下がり目(核)が分節音(母音)よりも時間的に後ろにずれる現象です。下の図は「アラタナ(新たな)」という発話の音声波形(上)とfo(ピッチ,下)です。これを見ると,アクセントのある第1モーラ*1のアよりも第2モーラのラの方が高く下がり目もそちらにある,すなわちアクセントがあるはずの音節よりも音響上のfoの屈曲点(下がり目)が後ろにずれていることが分かります。しかし,音声を聞いてもおそらくアラタナと聞くでしょう。

「新たな」の発話の音声波形とfo

ここから日本語のアクセントにとって高低(だけ)が本当に弁別的特徴と言えるのか疑問が出ました。

これに対して杉藤先生は1972年の論文「"おそ下り"考--動態測定による日本語アクセントの研究」において,foの傾斜や動き方(動態)を丁寧に観察し,遅下がりが見られるのは第1モーラにアクセントがあっても日本語では強さが伴わないこと,第2モーラが下降動態のときに第1モーラに下降があると聞こえることを示しました。さらに,録音した音声を切り取り合成した音声を用いて(これ,1970年代初頭の発表なんですよ!),強さを変えても聞こえに変化がないことを明らかにしました。

このように,杉藤先生は日本の音響,知覚実験に基づく音声研究のパイオニア的存在とも言えます。そんな杉藤先生は7冊の著作集が刊行されていて,そのひとつが『柴田さんと今田さん』というものです。これは1982年の論文を改訂した「柴田さんと今田さん:語音とアクセントの関連」に基づいています(1998年刊行)。

www.izumipb.co.jp

この論文は先ほどのような音響・知覚実験ではなく,ご自身のアクセント調査から,子音や母音といった語音とアクセントの配列に相互関係を見出しています。

東京や大阪の人なら「柴田さん」と「今田さん」に見られる発音上の違いが大きく2つあることが分かるでしょう。ひとつは「田」の発音が「タ」になるか「ダ」になるかです。タとダの違いは清濁と呼ばれるもので,特に複合語の後ろの要素になったときに清音から濁音に変わる場合には連濁と呼ばれます。もうひとつの現象はシバタさんのようにアクセントがある(下図では頭高アクセント)か,イマダさんのようにアクセントがない(下図では平板アクセント)かです。ちなみに私の知る限りだと長崎や天草本渡方言でもアクセントの区別があります。

この論文のすごさは国立国語研究所の先駆的名論文翻訳シリーズのひとつとして英訳化されていることからも分かるかと思います。

repository.ninjal.ac.jp

この論文では「田」の前に付く言葉の音の配列によって,田の清濁や全体のアクセントが決まると主張しています。「田」の清濁とアクセントについて,杉藤論文を受けてより多くのデータに基づいて書かれた佐藤大和「音韻およびその配列とアクセント:「柴田さんと今田さん」その後の考察」(2006)は次のようにまとめています。

佐藤(2006)の一般化

図だけでは少し分かりにくいかもしれないのでいくつか例を示します。まず,タイトルにある「柴田」であれば,第2音節の子音は/b/,すなわち有声子音になるので「田」はtaで頭高アクセント(○○○)となります。次に,今田のように第2音節が鼻音/m/の場合,第1規則で濁音daと頭高アクセントの組み合わせになることが期待されますが,次に第1第2音節の特徴のうち狭口(i, u)→広口母音(a)という組み合わせ(今=ima)に該当するため,平板アクセント(○○○)となります。

こういった交替があるのは第2音節が有声子音か鼻子音のときに限られます。例えば「深田」も/fuka/という狭口→広口母音という組み合わせですが,第2音節が無声子音/k/であるので母音に関する第2規則は適用されず濁音と平板アクセントの組み合わせフカダとなります。

「島」でデータを作ったので分析してみた

このように,「田」の清濁やアクセントはその前に来る音節の情報を組み合わせて決まります。それでは杉藤論文や佐藤論文で指摘された語音と濁音・アクセントの関わりにはどれだけ日本語音韻論の中で一般性を持つのでしょうか。これを検証するには「田」の他に同様の現象を探すことがひとつの手掛かりになります。

その手掛かりになるかと思い,私は(姓ではなく)地理の「島」についてデータを作ったので,その結果をごく簡単に報告します。ただ,まだこの分析は始めたばかりで結果ははっきりと出ていません。また,アクセントの問題については今回資料が揃わないのでほぼ扱わず,清濁に集中します(ごめんなさい)。

データとして「●●島」の読み方が必要となるので,「島日より,旅日より」というページにある日本の離島一覧を利用しました。

shimatabibiyori.comこれをエディタで整形して読み方の情報を得たほか,いくらかの音韻的な情報を加えました。このデータは以下のサイトで公開しています。

researchmap.jp

それでは「島」の清濁を見ていきましょう。

長さが大事

「島」の場合,第一に長さの効果が見られます。前の長さに注目して数えた結果が下になります。

島の清濁と前の長さ

「島」の前が1モーラの場合,「小島(おしま)」や「端島(はしま)」のように31例が清音,ただ1つ愛媛県の「戸島(とじま)」だけが濁音になります。ただし高知県の戸島は「としま」と清音なので例外的と言ってもいいかもしれません。また,前が2モーラの場合も,「稲島(いねしま)」や「大島(おおしま)」のように129例が清音,「犬島(いぬじま)」や「詩島(うたじま)」のように42例が濁音と清音の傾向が強いです。前が1モーラのときに比べて濁音の例が増えています。最後に,前が3モーラ以上の場合,清音が78例,濁音が174例と濁音が優勢です。前が2モーラ,3モーラの場合についてもう少し見ていく必要があるでしょう。

字数の効果

それでは前が2モーラで島が濁音になる場合の傾向を見ていきます。実は42例のうち「能登島(のとじま)」や「保戸島(ほとじま)」のように前が2字からなるものが22例を占めます。それに対して前が2モーラで2字の場合,清音になるのは22例で,半々となります。半々ではどちらになるか分からないじゃないかと思う人がいるかもしれませんが,2モーラでは清音が優勢なので,全体の傾向から考えるとこれは特異な分布です。さらに分析します。この清音になる22例のうち,後で言及する規則により清音となると説明できるものが14例あるので,「2モーラ2字なら濁音」という規則の例外と言えそうなのは8例です。

このように,2モーラの場合には字数の効果も見られるわけです。ちなみに2字であることでなぜ濁音になるのかは少し難しいです。推測になってしまいますが,前が3モーラ以上のときように「長く」感じて濁音にしたのかもしれません。

撥音は強い

他の効果として強いのが撥音(ん)です。「島」の直前が撥音の場合,長さにかかわらず全ての例が濁音すなわち「じま」になります。日本語で撥音の後ろは濁音になりやすいことはよく知られており,それがここでも成り立つわけです(当然「田」にも成り立つ)。

濁音嫌いの濁音

前が2モーラ1字(127例)のときの「島」の清濁に強く影響するのは2音節目の清濁です。「帯島(おびしま)」や「長島(ながしま)」のように2音節目が濁音の場合,14例全てが清音になります。つまり,濁音は直後に濁音が来ることを嫌います。これは似たような傾向がやはり日本語全体で見られます。例えば外来語のチーム名(ス・ズ)を考えたとき,英語のルールとは異なり「カブス」や「ブレーブス」のように濁音で終わるときには「ス」がつきます(この現象は立石浩一先生が最初に指摘)。

濁音の連続を嫌う傾向は前が3モーラ以上の場合についても言えます。前が3モーラ以上で第2音節が濁音の場合,清音が25例,濁音が18例です。少し弱い傾向に見えるかもしれませんが,清音で終わる場合には清音が53例,濁音が144例と反対の分布になることから支持できるかと思います。

濁音を嫌う個別のケース

前が3モーラ以上の清音では「島」は濁音となる傾向があります。最後に,それでも「島」が清音になるの場合を見ておきましょう。ひとつは「能古島(のこのしま)」や「生野島(いくのしま)」のように前が「の」の場合です。これは「の」を「私の本」や「大学の成績」のような属格という意識が影響したためと思われます。実際「湯ノ島」や「中之島」のようにそれ由来と思われるものが散見されます。

また,「伊豆大島(いずおおしま)」や「奄美大島(あまみおおしま)」のように「大島」が付いている場合も清音になります。もともと「おお」は全て清音となるので,それが出てきているケースです。

「おお」については発音上同じはずの「おう」は「奥武島(おうじま)」のように濁音となっているのと対比的なところが少し面白いと思います。ちなみにこういう母音を伸ばす音を長音と呼びますが,「田」の場合は長音の後ろは原則濁音ですが,例外的に「大田」は清音となり,やはり共通しているのも面白いところです。

まとめと今後の見通し

以上のように,「島」の清濁を決める条件は「田」の場合よりもやや複雑でした。それでも「濁音の連続を嫌う」「撥音の後ろは濁音のみ」という点は共通して見られました。これらの結果の一部をまとめると下の図のようになります。

地名「X島」の清濁を決める諸条件

はじめにも書いたとおりここの分析はアクセントを入れていません。「島」の場合もアクセントと清濁に相関があるのかはしっかり複数の話者に調べて検討する必要があるでしょう。また,母音についても考慮していない点は気になります。最後に,人名の「島」とも分布が違いそうで,異同もあるのかは確かめる必要があるでしょう。その場合,なぜ地名と姓で異なるカテゴリーを作るのかを考える必要があるでしょう。

*1:韻律の単位で,日本語だと言葉の長さを数えるときに使われやすく,ほぼカナ1文字に相当する